コラム

2014.06.24

第8回 地元、横浜について

(有)精栄工業 東條基昭

私の住んでいる所に、西洋文化の先駆けともなったペリー提督率いる黒船使節団を見物したと伝えられる「黒船見物の丘」という立て看板があります。

開港以来、横浜は西洋文化の発信地として幾つもの日本初を送り出して来た。

 1872年(明治5年)に日本で初めて鉄道が横浜―品川間に開通し、その後、横浜―新橋間が開通した。

当時の新聞記事には「あたかも人間に翼を付けて空を飛ぶに似たり」とあったそうです。その少し前、1871年(明治4年8月9日)に断髪令が出され、それ以降西洋理髪業が本格的に始まった。
同じ年に外国人が嫌う、立小便の悪習を絶つ為に、横浜の83ケ所に公衆トイレが日本で初めて設けられた。又、1878年(明治11年)に山手の洋式公園に5面のテニスコートが開設された。(日本のテニス発祥の地)
1885年(明治18年)に山手に日本初のビール工が建設され、ビールの製造が始まった。後のキリンビールである。
少し変わったところでは、今は香りや形状も様々な石鹸があるが、国産化が行われたのは製鉄所建設の工事監督を務めていた堤磯右衛門が、製鉄所建設の現場でフランス人技師が貸してくれた石鹸の洗浄力に驚き、国産石鹸作りに挑み、堤石鹸製造所を、横浜市南区に開設し、1873年(明治6年)から1890年(明治23年)まで製造していた。
その他にアイスクリン(アイスクリーム)、モールス通信(ペリー提督による徳川幕府への献上品の中にモールス発信機があった)
英和辞書(横浜居留置の医師ヘボン⇒ヘボン式ローマ字)レンタルサイクル(元町の石川孫右衛門による発案)などがある。
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